今日は平日の朝です。
気持ちがいい日だったので、公園を歩いてみました。
人もまばらに散歩していました。
みんなとてもリラックスしていました。

社会の歯車にどっぷりハマっていた時は気づけなかった
あまりにも気持ちがいいので、しばらくベンチに座っていました。
鳩がいてエサを食べていました。
きっと遊びにきてお弁当の残りやパンが落ちているのでしょう。
深呼吸を深くしたら、とても落ち着きました。
するとなんだか泣けてきました。
なんで昔はあんなに頑張っていたのだろう?と・・・
・肩書を追い求め
・容姿を追い求め
・評価を追い求め
・自分の地位を追い求め
・所有することを追い求め
・高級品をあがめ
目に見えないものに、とてもおびえていました。
自分は社会的に価値があるのか?
社会で受け入れられるのか?
それがない自分をこれでもか! と責めていました。
きれいな青空を見ていたら辛かった過去を思い出し泣けてきました。
今は自由です。
本当は何も追いかけなくて良かった、
ほっとしたら今まで頑張ってきた自分を優しく、優しくさすってあげました。
もう頑張らなくていいんだよ〜
もう十分頑張ってきたから、今からはどんどん楽をしていいだよ〜
そんな声が空からふってきたようでした。

常識を追いかけて勝てる人は限られているという真実
この世界は、常識で成り立っています。
・会社で立派に働けるひと → ⭕️
・コミュニケーションが上手な人 → ⭕️
・能力が高い人 → ⭕️
・肩書がある人 → ⭕️
などなど
でもよ〜〜く考えてみれば、その常識は人間が作ったものです。
そしてその人間が作ったものに合わないと”ダメな人間”というレッテルをはられます。
そんなことに気づかずに多くの人が ”ダメな人間”となった人を攻撃し捌いています。
私も世間でいう”ダメな人間”でした。
とても辛く暗い人生を送ってきましたし、自分で自分を攻撃しました。
「なんであなたはそんなにダメなんだ」
でも、”ダメな人間”なんていないんです。
ダメ とか 良い とかしょせん人間のものさしです。
それを常識にそまれない人はダメ人間と自分も周りもそんなふうな風潮があるから
ますますダメになっていました。
もしあながた落ち込んでいるなら、あなたに伝えたいです。
この世界には、常識の中で上手に生きれる人間とはみ出て生きづらい人間がいる、ということを。
もしあなが後者の人ならば、違う生き方にシフトすればいいだけなのです。
孤独に自由に生きる道もある
私は今ひまわりさんのアファーメーションをきき、
独りひっそりビジネスでひっそりと生きています。
関わるのは家族とメンター、たまに用事がある近所や学校の人
ほとんど会話も限られていますし、行く場所も限られています。
華やかではないです。
ひっそりと静かに過ごしています。
でも十分幸せで、心が穏やかです。
家族も安心して過ごしてくれています。
何気ない日常に感謝しています。
世間でいう”成功”というレールではない、
パンフレットにのっているような状態ではないですが、
私自身はほ〜〜っとしてとても心地がいいです。
誰とも比べない
なんのトラブルもない
あ〜〜、良かった( ◠‿◠ )
