ブログ

自閉症の娘が教えてくれた真実の愛 青い鳥は目の前にあった

ほっこりんりん

独りひっそりビジネス歴7年目です。機能不全家庭で育ち、あまりの怖さのために感覚を失い、声がでなくなりました。 表情も無表情で感情もなく、記憶もなく刺激が怖くてずっと家に引きこもっていました。あるきっかけでメンターと出会い、メンターに導かれ波動ライティングを学びました。

 

”青い鳥”という物語を子供の頃に読んだ

子供たちが、夢を見つけて夢の世界を外に探しにいくのだけれども、

結局、一番身近な家の中、目の前にあったというお話だ。

子供の頃は、ふ〜ん( ̄▽ ̄)という感じで読んでいた。

 

時が、30数年ほど過ぎた。

私の娘は2歳くらいから、極端に人見知りが激しく私の手を離れなかった。

当時私自身が、強烈な愛情不足の家庭環境で育ったためか、自分が満たされて

いなかったので、娘のそういうはなやかでないところが気にいらなくてイライラした。

当時の私は、「愛をください」という承認欲求の塊だったので、娘の態度すらママさん達に

承認されることを目的としていた。

本当に最低〜・・・・

 

そんな私でも、私の2人の子供は、私を「世界で一番大好き!」と慕ってくれた。

本当にありがたいことなのに、当時の私は、

「やっぱり私がいいからだ〜、ママのおかげよ」と傲慢だった。

 

ただ、娘の自閉症には、ずっと手をやいていた。

自閉症というものを体感したことがない私は、娘が学校に

行けない、人の目が気になる、人が怖い、体が石のように固まる

といったことが理解できなくて、娘をすごく怒った。

鬼のように・・・

娘はいつもただ、じっと黙って聞いて涙を流していた。

でも、私も怒りがおさまると、愛があるものだから、娘にひたすら

謝った。

そんなことを繰り返して、娘が小学6年生になった。

多くの人の力をかりて、どうにかこうにかここまできた。

学校もまだ、まともには行けなかった。

1週間に2回行ければいいほうだった。

私の夫は、変わっていて、私たち夫婦は会話がない。

娘も夫には学校を休んだことを

いつも隠していた。

その時も、夫が朝娘に、「ちゃんと学校に行けよ」と言った時

娘は、「うん」とかわいく返事をした。

でも、夫が会社に行ったあと、いつもの通り沈んだ顔になり

体が固まった。

学校は遠いので、いつも私が車にのせていくのだが、その日も、下の男の子は

学校の前で車から降りたけど、娘は降りれなかった。

「遅れていきたい」と、娘が言うから遅れて連れていくことにした。

1時間後学校に着いたら、娘は、体が固まって動かなかった。

何かが私の中できれた。

私は、ずっと怒鳴った。

「あなたは、将来ちゃんと考えているの!周りがこんなにも一生懸命助けて

あげているのに、馬鹿じゃないの? 何のために生きているの?

パパの前ではニコニコできて、ママのことバカにしているの?」

そんな言っては良くない言葉を延々と言っていた。

こんなことは、今まで何回もあったのだが、今回も押さえが聞かなかった。

 

私は、怖かった。

自分のように、娘が大きくなって経済力がない、好きな人と結婚できない、

青春を味わえない、という未来を想像して怖かった。

娘と息子にはいつも笑って過ごしてほしい。

私は、けんかの中で育ったから、自分の子供は笑ってほしい、

ずっとその思いがあった、けど爆発して出てきた言葉は、

娘の自尊心をずたずたにするものだった。

娘は、途中から嗚咽しだして、ずっと黙っていたけど、やっと声を

振り絞ってこう言った。

「ママは、私がいなくても大丈夫。ママは、パパといて辛いから、私といて

辛いから、離れてもいい。

ママは、成功する。私には、それが見える、

ママは、すごいから、でももう、私が書いた今までの手紙は捨ててほしい」

 

私は、怒りがす〜っと消えた。

私は、何を恐れていたのだろう。

私は、娘が学校に行かないことで、夫が私を怒るのを恐れていたし、

学校にいかないと娘が不幸になると思い込んでいた、

学校に行かないとダメだと思い込んでいた

でも、そんなことはない、

だって、この子は、こんなにもきれいなハートがあるんだもの、

私にこんなに罵倒されても、私のことを信じてくれる、

ずっと信じて慕ってくれる

私が、他のお母さんと違ってあぶれていても、ママが好き、ママの子で

良かったとずっと言い続けてくれていた。

夫が変わり者なことも小さい頃から理解してくれて気を使ってくれていた。

そして、私がするネットビジネスもメンターのことも信じて一つ一つ応援してくれて

いた。

決してはやりものをしているわけじゃないし、

若者が好むようなキラキラもしていない私のすべてを娘は信じて愛してくれていた。

そのことにやっと気づけた。

私は、何を今まで見ていたのだろう?

ごめんね、

ごめんね

本当のあなたを理解してあげれなくて本当にごめんね

小さい頃からたくさんの手紙をくれていた。

大きくなったら、私(娘)がママを支えると言ってくれていた。

こんな家に住んで、ママの部屋がこんな感じで、ママは今まで辛かったから

私(娘)がたくさん幸せをあげる♪

まだ、こんなに小さいのに。

ごめんね、

ただ、みんなんと同じ行動ができないだけなのに、

みんなのように言葉が出なくなるだけなのに、

私ののエゴ、世間体で、娘をせめていた

それでもかたくなに信じて私を離さないでついてきてくれたことに

心から感謝する。

それは、下の息子にも。

私は、この日はずっと涙が止まらなかった。

自分の精神の未熟さゆえに、この子をつぶさなくて良かったと思う。

私は、この子達を生涯守る。

何があっても全力で守る。

私の魂をかけて全力で守る。

今まで無条件の愛で支えてくれてありがとう。

これからは、ママが全力で守ります。